2012年2月26日日曜日

乱読のすすめ45-天皇の吸いがら




   住井すゑさん(1902~1997年)が、長編小説『橋のない川』(新潮社)を書き出したのは56歳、いまの私と同じ年でした。
   被差別部落の問題を正面からとりあげ、天皇制についても勇気ある批判を展開した住井さん。創作は命がけだったといいます。


   『生きるとは創造すること』(住井すゑ、日本図書センター)より…
   「私は『橋のない川』を書き出す時に、この作品を書いているうちに殺されるかも知れないと思ったものです。命を捨てようと覚悟した時、私は強くなりましたね。怖いものはないというのは、昨日、今日出て来たものではなく、私が小学校一年生の時、天皇が大和へ演習に来るんです。…百姓が天皇のタバコの吸いがらを拾ってくるのを見ました。私はその吸いがらを見て、初めて天皇があたり前の男だとわかったんです。明治の教育は徹底してまして、天皇が神だと思わない者はなかったですね。それが吸いがらを見たとたん普通の男になるんです。それと同時に、タバコを吸う男はくだらないと思ったわけです」











  住井さんは「私は部落差別という単純明快なものを一本の線に置いている。ここに全世界の問題が入ってくるからだ」とおっしゃっています。
わたしが『橋のない川』を初めて読んだのは、高校1年生、16歳のときでした。「現実世界」をいきなり突き付けられ、大きな衝撃をうけました。同時に差別と貧困、天皇制についての疑問が深く刻みこまれました。この本を読まなかったら、その後、日本共産党に入ることも、いま国会にいることもなかったでしょう。

   生前、住井すゑさんは、日本共産党に協力して頂いた部分もあった半面、辛口の批評もされていたとのこと。ある本のなかで、住井さんはつぎのように述べておられます。
   「『共産党的性格』というものがある。人間的に鋭いことです。しかし「鋭い」ということは、人間として情がない、非情だという危険も出てくる。私が知っている人も義理人情を踏み越えて、党のために働ける性格を持っています。そういう意味では人間として冷たい。共産党の理論の『切れ味が』がよすぎるというのも私はこわい。…大衆も何とはなしに感じるのではないでしょうか」

   最近は、そんなに「鋭い」人も少なくなり、情に流されがちの温かい人が結構いるような気がしますが、住井さんの骨太の「百姓パワー」からすると、こざかしく見えた者がいたのかもしれません。
   いずれにせよ、住井すゑさんのように、理屈よりもタバコの吸いがらですべてを理解するような体感力を鍛えなければとおもいました。