2013年9月8日日曜日

乱読のすすめ90- 憲法は政府にたいする命令である












   いぜん「朝まで生テレビ」に出るとき、憲法問題もテーマになると聞いたので、少し事前に準備をしたことがありました。
   おそらく司会の田原氏や自民党などから「押しつけ憲法」論(いまの憲法はアメリカから押し付けられた)が出るのではないか、その場合どう切り返すかを考えました。
   「当時の国民世論の8割以上が憲法案に賛成していた」「民主勢力の意見も入っている」だけでは、「それでもアメリカの押しつけだろう!」と「朝ナマ」特有の激しい突込みが来るのは間違いない。そこで考えた答えは「押しつけでなにがわるい」でした(実際は時間の関係で憲法問題そのものが議論されなかった)。

   「押しつけでなにがわるい」の意を強くしてくれる本が最近、出ました。Ⅽ・ダグラス・スミスさんの『憲法は政府にたいする命令である』(平凡社ライブラリー)です。
スミスさんは、アメリカが日本に押し付けたというのは正確ではない。アメリカをはじめファシズムに反対してたたかった世界と、日本の人民が、大日本帝国政府にたいしていまの憲法を押し付けたのだと言い切ります。大日本帝国政府こそが、天皇制の温存を求め、国民主権と軍備放棄に反対していたからです。

   ところで自民党の憲法改正では、国民の義務を強調しています。
憲法に書き込むのは、それに実効性をもたせる個別法を想定しているからでしょう。
しかし自民党が国民に課したい義務=「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」「家族は、互いに助け合わなければならない」を個別法にすると、とんでもないことになる。「国歌法」(口をパクパクしてるだけでは罰金)、「国旗法」(祭日に玄関に日の丸を掲げないと罰金)、「家族助け合い法」(お父さんに口ごたえすると罰金)など、エスカレートしかねません。

   そもそも憲法の起源は、国民に義務を課すことより、権力者を法的に管理することにありました。人民が王政を倒し、自分たちの代表に統治を委任するとき、その統治者(権力保持者)の暴走を許さず、人民のために働くように憲法を定め規制したのです。
その規制から飛び出して、逆に国民を縛ろうとする自民党、驕り高ぶりすぎではないか。