2013年10月7日月曜日

乱読のすすめ101-「原発依存症」














きょうの東京新聞で、筑波大の斎藤環教授(精神医学)が、福島第一原発事故後もなかなか「原発ゼロ」に踏み出せない日本の状況について、つぎのように述べておられました。
「原発推進派の一部では原子力万能感のようなものが依然くすぶっている。たとえば、原発のコストが安いという説。とっくに破綻して見えるが、まだ唱える人がいる。合理性を超えた、病的なものを感じてしまう」


斎藤教授は『原発依存の精神構造』(新潮社)を書かれています。なるほど原発推進派は「原発依存症」とで...も呼ぶべき病気なのかもしれない。
ただ、その病気は、斎藤教授が指摘される精神的なものというより、経済的なものが主因ではないのか。つまり、一部の巨大企業にとって、原発は儲かる、儲かるからやめられない。

斎藤教授は反原発運動のあり方についても、つぎのように提起しておられました。
「廃炉技術の温存のために、僕は限定的な再稼働を主張しているのだが、それを言うと原発反対派からもたたかれる。…僕らの立場でできることは、違和感を表明し続けることかな。誹謗(ひぼう)中傷ではなく、理性的な違和感の表明。…穏便かつ理性的に、礼儀正しく違和感を表明する発想が大事。けんかをして、すっきりしていても、原発は終わらない。すっきりしない感情をどう持ちこたえるか、成熟度が問われる。白か黒かをはっきりさせる気合だけでは、現実が宙づりになるだけだ」

誹謗中傷は論外、理性的な違和感の表明も大事。しかしどんな「依存症」の克服も、徐々に時間をかけてという方法では失敗する確率が高い。やはり、思い切ってきっぱり断ち切るのが一番ではないか、とかんがえました。