2013年10月22日火曜日

愛は強制できない








きのうは大阪でマルチ商法対策の集まりのあと、札幌へ向かうため伊丹空港へ。空港のラウンジで自民党のK議員とばったり。私より十歳ほど年上ですが、同じ委員会の理事会メンバーだったこともあり、よく話す間柄です。

来週からの国会の見通しで憲法審査会のことが話題になったので、ついでに「押しつけ憲法で何がわるい」論を彼にぶつけてみると、「あんた、かしこいなあ」と素直な笑顔。

Kさんの関心は別のところにあった。
「最近、子供が親を手にかける。親が子供を…悲惨な事件ばっかしや。国を愛し、親を敬い、家族を大事にする、そういう一本筋の通った社会にせんとあかん。そのための憲法改正や」
殺伐とした事件が相次いでいるのは事実。しかし儒教的な価値観の強制でことが解決するのか。本当のねらいは、「戦争をする国」をになう人間をつくることにあるのではないか。

だいたい、なんでも国民の義務にして強制するなど無理がある。
「自民党の憲法改定案の最初の案に、愛国心を憲法で義務付けるという条文があったけど、愛は強制できませんよ。愛が人に強制できたら、この世に片思いはなくなり、誰とでも結婚できる。ボクなら小泉今日子と結婚したかった」
「あんた、おもろいなあ」
(何でも素直な笑顔で反応する、あんたも、おもろいなあ)

「潮騒のメモリー」の旋律が哀愁を帯びているのも、人に愛が強制できないから。だから人生はかなしくて美しく、また楽しい。自民党議員にもわかってほしいな。